昨日の夜中、星野源『蘇る変態』を読み終えた。
失礼な話になるかもしれないが、自分と同じような性質の人(所謂陰キャ的な性質)のエッセイは、話の良し悪しに関わらずスイスイ読めるし、頁も早く進むように思う。
まぁこの本は7,8年ほど前のことを書いているものなので、現状というのは色々変わっているはずなのだけど。
いろんなことが割と生々しく書いてあり、闘病中の痛みや苦しさとか、定期的にやってくるエロ話とか諸々、当時の源さんの感情がダイレクトに感じられた気がした。
座薬のくだりは今でも思い返したらクスリと笑ってしまう。薬だけに。
単純に源さんの曲はちょくちょく聴いたりもしてたし、特に『地獄でなぜ悪い』は学生時代に結構ヘビロテしてたので、その制作過程の一部が知れてよかった。
近年は恋ダンスがメジャーになりすぎて敬遠しがちになってしまっていたけど、最近の曲もちゃんと聴くとやっぱり良いですね。
あと、SAKEROCKにも興味が湧いてきた。インストバンドは全然馴染みがないんだけどどうだろう。Apple Musicに入ってなかったから、今度YouTubeで色々聴いてみよう。
伊藤大地さんってSAKEROCKのメンバーだったんですね…。知らなかった。今まで真心ブラザーズでドラム叩く人としか認識してませんでした。
今日は、いとうせいこう『想像ラジオ』を読んだ。
厳密には学生の時に一度読んだ本なんだけど、文庫化されて書店に並んでいるのを見て、「どんな話だったっけ…思い出せんぞ…」ってなったので、もう一度読もうと思い買ってきた。
内容としては、、今の自分にはまだまだ難しい事なのかもしれない。一度読んだのに話を忘れてしまったのは、そういう事なのかも。
自分はまだ身近な人の死を経験したことがないからだと思う。経験のないことを想像したり理解するのは中々難しい。
ただ生者と死者は持ちつ持たれつの関係で、死者の存在があるから生者という存在がある。死後の世界とやらも、生者という存在があるからこそで、生者がいなくなればそれも成り立たない、等と書かれていた第4章の内容はぼんやりとだけど印象に残った。
DJアークのような、時間の感覚が分からず、この世にもあの世にも居ない状態。これはもしかしたら未来の自分なのかもしれないな、とも思った。(あるいは『自分が最も望んでいる姿』なのかもしれない。)
生きているけど、死んでいるようなどちらとも取れるふらふらした存在に。
先週買い込んだ本も、まだまだ読めずに残っている。
最近は本の虫とも言えるレベルに読書欲が高まっている。ような気がする。
もっと色んな本が読みたいし、色んな音楽も聴きたい。圧倒的に時間が足りない。仕事なんかやってる場合じゃないんだよな。
(以下、追記。)
この記事をアップした後、『想像ラジオ』の文庫版解説を読んだ。そこで、ようやくこの話の全貌が掴めた気がした。
その中で記事の中にも書いた第4章の内容も挙げられていて、やはり物語の根幹はこの章なのかなと思った。
改めてこういう解説ってすごいなと思わされたな。話の内容を掴めない時こそ、こういう解説のありがたみを知るのかもしれない。またひとつ文庫本の良さに気付けた。
詳細は省くけど、『木』というものにここまで魅力を感じたのも初めてだと思う。すごい。