ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

世界の終わりにはまた別の世界

佐野徹夜『さよなら世界の終わり』を読み終えた。

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佐野さんの小説は痛みの描写がやたら生々しく、読んでいて頻繁に心苦しさを感じてしまう。『アオハル・ポイント』を読んだ時は特にそれを感じてしまい、途中からずっと後味の悪さを抱いていたくらいだった。

恐らく自分の経験と近いところがあって、リアルに受け止めてしまうのかもしれない。僕はあそこまで酷いいじめを受けていた訳じゃないけど。普通の殺人シーンとかだと現実感ないしな。

『アオハル・ポイント』はそういった心苦しさが最後まで抜け切らなくてあまり良い印象を持てなかったけど(物語が悪かった訳ではない)、今作はある種の『救い』も同時に感じられて良かったと思えた。

 

例え自分がいなくなっても、世界は変わらず動いていく。それは会社でも学校(そこから更にクラスとか部活とかに分けられそう)みたいな組織だって同じように思う。

そう思うと、世界も組織も紙一重だよな。一般的な世界(社会とでも言うべきか?)は、小さな世界(=組織)の集合体によって成り立っている。

おお、立派なマクロコスモスとミクロコスモスの関係じゃないか。小説を読みながらそんな事を考えていた。

 

以前までは山積みの仕事に追われながら「死にたい」とか頻繁に考えていたけど、今はそんなこと全然考えなくなったな。

これも最近になって、いろんな「外の世界」を見ることができたおかげだと思う。多様な生き方があると分かったし、これからは自分に合ったやり方でなるべく楽して生きたいなーって思うようになった。

ひとつの世界から逃げた先にはまた別の世界がある。どう転んだとしても、結局人は生きるしかないんだから「どうやって生きようか?」って考える方がよっぽどいいと思う。死ぬなんてもったいない。

佐野さんが会社員を辞めたのは25歳の時。今同じ年齢の僕はどうなるだろうか。

 

どうでもいい事だけど、『さよなら世界の終わり』ではいじめっ子が(理由はどうであれ)途中で無残に消えてくれてスッキリしたというのがある。

害しか与えなかった奴が、(例え作中で制裁を食らったとしても)その後何ともなかったかのようにのうのうと過ごしているのは、やっぱり気に食わないんだよな。

僕が今作に好感が持てたのはこういうところもあるかもしれない。