ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

誰にでもある尊い感情(12月18日〜12月22日)

12月18日(土)

朝起きて暖房を入れても、なんか部屋が一向に暖まらない。

外はそんなに寒いのかと1時間くらいは気に留めなかったのだけど、よく見たら間違えて冷房のボタンを押していただけだった。アホすぎる…。設定温度がどちらも同じ28℃だったので、気付かずにいた。

 

心療内科のあと、図書館の本を返しに行く。

返却センターまで行けば一瞬なのだけど、ちょうどピクミンのコミュニティイベントの日だったので、歩いて現地まで行くことにした。往復で1万歩いかないほどの距離で、無心で歩くと意外にすぐ着く。

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返却のついでに、前回来た時に貸出中だった本の在庫状況を調べてみた。しかし今日も誰かが借りているみたい。人気なのかな。区内にある他の図書館にもあるそうなので、今度取り寄せようか。

来た道を戻りながら、在庫のある図書館ひとつが、徒歩で難なく行けることに気付く。どうせ今日は暇だし、もう少し歩くか。そうして辿り着いた別の図書館で、無事に本を借りることが出来た。コミュニティイベントの1万歩も達成する。

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冬は長時間歩くのがどうしてもしんどい。手がかじかんで動かせなくなるし、疲れてくると「寒い、早く帰りたい」って気持ちの方が強くなる。

本当に1万歩くらいが、余裕で歩ける限度かも。夏場はもう少し長く歩き続けられると思うのだが。

 

帰宅してから急に気分が落ち込んだ。周りはみんなちゃんとした大人なのに、自分だけが精神的に成長していない子供のままなのかもしれない、という考えが頭から離れなくなってしまう。

布団にこもって、そのままずっと出られなかった。こういう時は何をしてもダメだ。適当に何か食べて、早いうちにさっさと寝よう。

 

12月19日(日)

身体がすごく重くて中々起きられないけど、ずっと寝っぱなしもよくないので、無理やり起きて冷蔵庫のぶどうジュースを飲む。しかしそれは夢の中の出来事で、気が付くとまた布団の中にいた。…という夢を見た。実際は冷蔵庫にぶどうジュースなんか無いし、最近家では水かコーヒーしか飲んでいない。

 

ということで本日3回目の起床。あつ森をやっていたら、島の住民の写真をコンプリートした。ソフトを購入してから1年と8ヶ月。そのあいだ住民は転々と変わっていたのだけど、長かったな。

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TEAM-ODACの演劇『僕らの深夜高速』を観てきた。フラワーカンパニーズの代表曲『深夜高速』を軸に置いた作品だ。

ここ最近、心や感情が死んでいるという自覚がずっとあった。昨日たまたまツイッターでこの公演を知り、何か刺激を受けないと、このままでは本当に腐ってしまう、そんな思いでチケットを買ったのだった。

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とあるファンからの提案で結成された同級生バンド・フラワーカンパニーズ。彼らを中心として、さらにはボーカル・鈴木圭介の友人たちを巻き込みながら、登場人物それぞれのドラマが進んでいく。

フラカン結成から、何故か彼らの行く先いちいちに着いてくる「ただのファン」渡辺孝太。そんな彼への認識が、最後でいつの間にか「一人の友人」として変わっていたことに、何かすごく尊いものを感じた。

 

世の中にはいろんな事情を抱えた人がいる。夢を追い続ける人、夢を諦めて日の目を見ない生活を送る人、嘘をつき続けなればならない人、何かをずっと我慢している人。そして、一人のファンとしてちっぽけな存在を応援し、どこまでも着いて行くという決意を持った人。

僕自身は、明らかに日の目を浴びることのない側の人間だ。これまでの経験上、そうならざるを得なかったとも言える。

今では夢や情熱という言葉には、ほとんど冷めた気持ちしか湧かなくなった。「必死で生きてる」と主張する人たちに対して、「生きることだけなら誰でも出来るやん。なんでわざわざ追い込むことするんやろ」と、心のどこかで見下している自分がいた。

そういう根っこの腐った部分は、もう直せないのかもしれない。しかしこの作品のおかげで、価値観の違う人に対しても、また少し寛容になれる気がした。

 

結局、孝太自身も周りに嘘をつかなければならない状況にあった。彼が遺した手紙の中で、様々な人たちを肯定しつつ語った「それでも、人は生きていかなきゃ、いけないんですねぇ」という言葉に胸を打たれた。それは演技という枠を超えた、俳優・いとう大樹さん自身による本心の言葉だったようにも思う。

最後に『深夜高速』が流れる中、フラカンのメンバーと孝太がじゃれ合うところで、涙がボロボロ流れてしまった。うまく言い表せないが、こういうのいいなぁと、純粋に思えたのだ。

心からよいと思える場面で素直に感動する、自分もまだ人並みにそういうことが出来るんだなと気付けて、安心した瞬間でもあった。まだ感情は死んでいない。今日は来てよかった。

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帰り道にフラワーカンパニーズの『深夜高速』を聴き直して、また少し目が潤んだのだった。

 

12月20日(月)

在宅勤務。昨日の余韻があるせいか、気持ちは平坦だが脱力気味。もう今月いっぱいは仕事らしい仕事が無いので、自宅でメールを確認しつつのんびり過ごす。

お昼に、この前行った近所のラーメン屋で南高梅塩そばを食べた。

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あっさりした塩ラーメンに大きい梅干しがひとつ。そのままでもいいのだけど、梅干しを崩すと、スープに酸味と甘みが増して一層おいしくなった。

 

映画『音楽』がアマプラで配信されたということで、観てみた。映画館で告知を見た時に気になっていたんだけど、結局観ないままだったんだよな。

これは…面白かった。ジャンププラスで『とんかつDJアゲ太郎』を読んでいた時の感覚に近いものがある。

基本的におバカでシュールなノリが続いていくのだけど、目標があまりにシンプルで、逆に先が気になってしまう。ところどころで入ってくる妙に長い間の取り方も、作品の独特さを醸し出していると思った。

あと主題歌もすごくよい。ドレスコーズ、本格的に聴くのは初めてだったな。

 

以前から頻繁に外を歩いていたせいか、疲れがドッと押し寄せてきた。もう家の周りは散々散歩したし、しばらく歩きたくない。晩御飯を食べてからゆっくり風呂に浸かり、睡眠薬を飲んで早めに寝た。

 

12月21日(火)

在宅。やることもあまりないので部屋の掃除をする。本格的な大掃除は年の瀬が近付いてきたらやる予定だけど、その時の手間をなるべく減らすために、少しずつ進めていこうという魂胆だ。

今日は午前中にテレビの周りやソファの下など、何ヶ月も放ったらかしでホコリが溜まっているところを拭いた。掃除機は家に無くて、床の掃除をする時はいつもクイックルワイパーのシートを雑巾がわりに使っている。

ホコリを吸いすぎてクラクラ。ちゃんとマスクをつけてやればいいのに、いつも忘れてしまう。

 

夜にキムチ鍋を作った。野菜を切るのはめんどくさいので、スーパーで鍋用のカット野菜を使う。それに加えて、豚肉と豆腐をぶち込んだ。

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気力があったら鍋敷きも買うか…。今日は適当なタオルで代用した。

 

あとはピロウズの高円寺ライブに落選した。

 

12月22日(水)

今日も在宅。昨日のキムチ鍋の残りを温め直したり、ラーメンを入れたりして食べる。

午後にLAMP IN TERRENのベストアルバムが届いた。クラウドファンディングによって制作された、再録ベスト盤だ。

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まず収録曲の順番を見て、おおーってなった。サウンドは全体的に柔らかく温かい雰囲気になっていて、ジャキジャキしていた初期の曲を聴き比べると、その違いがよく分かる。

個人的にはランデヴー、メイ、花と詩人、涙星群の夜、multiverse。この辺りがそういう温かみの影響で、特にいいアレンジになっていると感じた。もちろん他の曲も素晴らしい。聴いていて何度か涙腺が緩みかけた。

 

アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』を読み終える。

娘の病気見舞いを終えた母親ジョーンが、バグダッドからイギリスへ帰る途中の宿泊所で足止めを喰らい、そこで己の人生を振り返っていく、という物語。

ジョーンはこれまでの夫婦関係や子育てを、自分が頑張り支えることで、全て順風満帆にやってきたと何の疑いもなく語る。話はほとんど回想が中心となって進んでいくのだけど、頁を進めていくとジョーンの持つ自信に疑問を持たざるを得ないことが、嫌でも分かってしまう。結局は彼女の押し付けや自己満足が、家庭を不幸にしていたのだ。

 

巻末の解説では、冒頭で「これは哀しい本であり恐しい本でもある」という風に書かれてある。僕はこの部分を読む前から、これは怖い本だなと思っていた。

家族(特に3人の子供たち)からはずっと怪訝な目を向けられていたにも関わらず、「私は家族を誰よりも分かっている」、「私は精神的な人間だ」、「私は他人思いである、"うぬぼれ屋ではない"」などなど、至るところで並べられるジョーンの自信満々な発言。ほかにも他人を悪びれもせず見下す様に、ある種の気持ち悪さをずっと感じていたからだ。(それに対する夫も、冷静に見ればいい人とはとても思えない。)

そしてこの本を読みながら、昔の職場にいた上司のことが終始頭に浮かんでいた。物語における「家族関係の問題」を「仕事上の問題」に置き換えて想像したら、そいつとジョーンのイメージが一致してしまったのだ(異常性が全く同じという意味で)。その上司のあれこれを今ここで書くべきではないし、こればっかりは実際に読んでみて想像してもらう以上に、分かりやすく伝えられる方法がないのだが。

 

そんな記憶(と、この本に関する事前情報)も相まって、終始ビクビクしながら読んでいた気がする。

『春にして君を離れ』は1944年に発表された小説なのだけど、焦点を当てた問題については、現代にも刺さるところがあると思う。思い込みや自信過剰に陥ると本当に怖い。自分も精進せねば。

 

 

11月にあったLAMP IN TERRENのホールライブが、YouTubeでプレミア公開されていた。それを冒頭だけ観て寝た。