ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

年度の変わり目

無意識に去年の今頃のことを思い出す。

 

あの時は時間だけが膨大に余っていて、かなりの頻度でいろんな場所へ行っていたものだ。知らない街に行ったり、ぼんやりとしか知らなかった施設を見に行ったり、ふらっと山へ登りに行ったり。

今はそこまで遠出をしたいという気持ちはあんまりなく、休日は家の周りをふらふら歩き回って時間を潰す日々が続いている。自分が住んでいる街の中にも、まだまだ知らないことが結構あるので面白い。

徒歩で難なく行ける距離に図書館を見つけたり、大通りから少し外れたところにかわいい動物がいる公園を発見したり。楽しみは意外と身近にもある。

 

そんな風にのんびりやっていきながら、3月も終わりに差しかかり、新年度が始まろうとしている。

最近は不安のベクトルが、やたら現実味を帯びたものに変わっている。微弱だけどハッキリ分かるストレスがベッタリ貼りついているみたいで、予定のない休日すら落ち着いて休めていないように思う。

 

このブログでしれっと何度か書いてきたことだけど、来年度に技術士の第二次試験を受ける予定になっていて、その申し込みのための対応でバタバタしている。それと並行して業務経歴書の作成、論文試験の勉強等も進めないといけない現実が、プレッシャーになって常に押し寄せてくる。ここ最近の不安感の正体は間違いなくこれだろう。

そもそも、この試験を受けるとか言い出したのは自分自身だ。一次試験は入社した年に何となく受験して合格し、二次の受験資格に達したからやってみようかなと軽い気持ちで言ってしまい、そこから引き下がれずに来てしまった。これ以外にも来年度は、業務的にも立場的にも忙しさが増すことが確定しているのに、何故不安要素を増やしてしまっているのか。

業務経験が浅く、自らが率先して行った仕事も大して無いくせに、何で受けたいとか言い出したんだろう。去年の自分を呪いたい。いっそ周りの先輩方から引き止められればよかったのに、とさえ思う。自分のために色々動いてくれている人たちには、正直感謝より申し訳なさの気持ちの方が大きい。

 

こういう「めんどくさいけどやらなければいけないこと」がどんどん溜まっていくにつれて、それに相反する「本当にやりたいこと」が頭の中で明確化されていき、その矛盾に苦しんでしまう。

 

「やらなければならないこと」の代表例は、上記の試験勉強の他に、日常の家事が思い浮かぶ。これを書いている途中に、洗濯機が「おい服洗い終わったぞ、早く干せよ」と言わんばかりに音をピーピー鳴らして訴えかけてくる。くっそ、めんどいな。

逆に見つかった「やりたいこと」というのは、普段やってることとそんなに大差ないものだ。読みたい本をダラダラと読んだり、その中で浮かんだ考えを掘り下げて文章として書き残したい。

ここのところ、全然興味がない仕事のことについて長時間考えることが多かったため、それとは全く関係のない、実用性があるのかも分からない文章を気ままに書いたり読み漁りたい欲望が一層強くなった。

 

 

永井玲衣『水中の哲学者たち』というエッセイを読んだ。

哲学研究者である著者が、主に哲学対話(ひとつのテーマについて集団で深く考え話すワーキンググループのようなもの)を通した様々な文章が綴られている。

哲学に関する考え方や面白さのことは、「共感したいけど、心のどこかでそれを拒んでいる」というのが正直な感想だった。僕自身もつい考え込んでしまいやすい性格だけど、その一方で、あえて考えることを放棄する場面が増えてきたと思うからだ。

答えの出ない問題について考え続けても意味はない、それでストレスを感じるなら尚更のことだ。「世の中そんなもんだ」とか「めんどくさいから考えるのやめよう」等といった楽だけど安直な方向に進みがちなところが、自分の中で顕著になっていた。

 

そういう凝り固まった思考が、少しだけ壊されていくような感覚になった(もちろんいい意味で)。単純にエッセイとしてもよく出来ていて、読みやすく面白い文章を書く人で、いいなと思えた。

自分の中の歪んだものさしは今更変えられそうにないし、結局これまで通りの堂々巡りを続けていくばかりになる気がする。けれど、世の中のいろんな許せないことに対してなんとかうまくやっていくために、考え続ける忍耐力も大事だなと再認識できた。生き方のモデルケースとなる人が増えるのは嬉しいことだ。

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自分も周りも、望んでいなくとも少しずつ変わっていく。どうせ変わるならなるべくよい方向に変わっていけるように、たまには何かを頑張ってみるのもアリだろう。

色々ダメでまた潰れそうになったら、もう一度休めばいいのではないだろうか。そして膨大に余った時間を使って、またどこか知らない街へ旅行でもしてみよう。