ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

思春期と妄想とスピッツと

スピッツのファンクラブ会員限定ライブ「GO!GO!スカンジナビア vol.8(通称ゴースカ)」に行ってきた。

僕は中学の時からずっとスピッツを聴いているのだけど、有料ファンクラブ「スピッツベルゲン」に入会したのは去年の夏からだ。もちろんゴースカへの参戦も初めてである。

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ライブはとにかく最高だった。意外な選曲や意外な演出にステージの装飾など、見るもの全てにワクワクした。これだよこれ。スピッツのライブにはいつもワクワクさせられるのだ。

座席が通路側の端っこだったのもあり、演奏中は我を忘れて通路にはみ出したりしてしまう。スピッツのライブなのに、珍しく飛んで跳ねて踊りまくった。

 

セトリには生で初めて聴く曲がたくさんあり、なおかつ子供の頃から聴き込んできた曲ばかりだった。

 

僕が特に好きなバンドの多くには、頭の中でひっそりと代名詞を付けている。the pillowsは「孤独」、LOST IN TIMEは「後悔」、真心ブラザーズは「自由」といった具合に、だ。

それらは大人になってから浮かんだもので、曲を聴きながら総合的に感じたイメージで見出したのだけど、何故かスピッツからはそういったパッとひとことで言い切れる言葉が見つからなかった。

歌詞が自分の心境に合っているという訳ではなく、色々考えるようになる前から習慣のように馴染んで聴いていたからだと思う。ぼんやりとした抽象的な美しさというのが、限りなく近いイメージだった。

 

だけど最近、スピッツの曲にピッタリな言葉が浮かんだのだった。それが「妄想」だ。

思えば中学時代は、今よりも遥かに無知で未熟で無鉄砲だった。根暗なくせに調子に乗って痛い目を見た経験が山ほどあり、その大半は今でも自分の中でトラウマとして重く残っている。良い思い出より嫌な記憶の方が明らかに多かった暗黒期だ。

しかし中学2年生の時に『冷たい頬』を聴いて感動し、そしてアルバムを片っ端からレンタルしてはパソコンに取り込んでいろんな曲を聴いた。歌詞の言葉の意味もほとんど分かっていなかったくせに、勝手に理解した気になって曲の世界観を(都合のいい解釈で)妄想していた。土日も休みがないほどの過酷な部活で疲弊し切っていたあの頃は、それが数少ない娯楽だったのだ。

 

そして今でも、自分の中にそういう要素は確実にある。ずっと忘れていたけれど、スピッツの曲を聴くと架空のノスタルジーに浸れる、妄想みたいな体験が出来ると最近になって改めて気付いたのだ。熟練のファンからすると何を今更、とか言われそうだが。

 

普通の人が思春期を通して得るような能力や自信を、僕は持てなかった。子供の頃はたくさん恥をかいたけれど、それは大人になった今でも大して変わっていない。相変わらず自分のことしか考えられないし、しょうもない欲に振り回されて息苦しくなったり勝手に落ち込んだりもしている。

自分はずっと精神的に幼いままで、本質的な部分はもう変えられないのだと思う。そんな考えが染み付いてしまっているダメな自分を、少し違った角度から肯定してくれているのがスピッツなのではないか。

抱えているモヤモヤした感情の正体をハッキリと浮き彫りにしてくれるバンドもたくさんあって大好きだけど、それとは逆に、フワッと曖昧なままに存在しなかった架空の青春に浸らせてくれるような、スピッツにはそういう唯一無二の魅力がある。

 

何もかも無知で空っぽだった中学時代に聴き始めたからこそ、すごくのめり込めたのだろう。今はいろんな経験によって暗い性格は更に悪化し、物の考え方や認知も昔と比べてかなり歪んでしまった。音楽の新規開拓もかなり苦手になった。

そんな今でも、やっぱりスピッツは別格と思いながら聴いている辺り、自分にとって本当に特別なバンドなのだと認識させられる。僕の中の気持ち悪い部分も全部まとめて受け入れてくれる、それがきっとスピッツなのだ。

 

ライブの1曲目は、そういう思いをあれこれ掘り起こさせるものだった。中学時代と同じようなワクワクした気持ちで、緑色のステージライトに照らされたメンバーを見ていた。

 

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