ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

ある1日

(第2回 日記祭のはてなブログ企画に投稿しようとして、没にした方の日記です。noteに書いた文章を基にしています。)

 

5月3日(火)

布団から出て、時計を見るとまだ9時半。マックグリドルが食べたくなり、近所の朝マックでテイクアウトする。おもむろにかぶりついたバーガーからは、甘さとしょっぱさが平等に容赦なく襲ってきた。まさに味の暴力、唾液がどばどばと溢れ出る。


何となく憂鬱な気分だった。原因が分かったところで簡単に解決するものではないだろうし、こんな時は何も考えないのが一番だ。不定期にやってくる波のようなもので、何度も経験していると流石に対処法っぽいものも身に付く。


分厚めの小説を読みながら、外に出ようと思い立った。天気もいいのだし、適当に散歩して疲れたら喫茶店にでも入り、読書なり勉強なりしてみればいい。

読みかけの小説、気分転換用のエッセイ、それから試験勉強用の資料や参考書、筆記用具。色々トートバッグに詰め込んだら、なかなかの重さになった。これを片手で持つのはしんどい。すぐさまバッグの中身を、リュックサックに移し替える。基本的に遠出する時にしか使わないリュックだったので、ちょっとした特別感が出た。

目的地は上野公園。通勤用定期券の区間内にある駅を降りて、少し歩けばすぐに着く。とりあえず外出したい時に何も考えず来てしまう、暇つぶしの通例スポットだ。


2年ぶりにタバコを吸った。何となく、そういう気分に駆られていたのだ。自宅最寄りのコンビニでハイライトメンソールを買い、改札をくぐる前に1本吸う。苦い煙とミントの香りが鼻腔を突き刺し、同時に脳が少し壊れていく感覚が分かる。

僕がタバコを吸うようになった理由は、単純に「時間潰し」として便利だったからだ。仕事の合間の休憩時間の他にも、飲み会の時にぼんやりと喫煙しながら人の話を聞くのが楽でよかった。自分から喋るのは得意ではないので、何かをしながら聞きに徹するにあたって、タバコは最適なツールだったのだ。

しかし会社で自由に喫煙出来なくなった辺りから、自分でタバコを買うことはめっきりなくなった。元々長期間吸わなくても、全然気にならない体質だったのだ。ごくたまに「喫煙したい」と思うことはあったけど、その気持ちは一瞬で消えるような程度で、実際にニコチンを摂取したのは久しぶりだった。


電車の中で色々考えごとをしているうちに上野公園に着く。大型連休のせいか、ある意味予想通り混み具合だ。

でも冷静に考えると、以前普通の週末に来た時と、それほど変わらないようにも見える。規模はどうであれ、僕からすれば「なんか人がいっぱいいるな」くらいの認識にしかならない。楽器を演奏している人や、曲芸を披露している人たちなど、いろんな人を見かけた。

園内を彷徨きながら、目的は自然と喫煙所を探す方向にシフトしていた。何度も来た場所なので写真を撮る気にもならないし、やりたいことが浮かなばない。しかし案内図にそれらしきものは載っていないし、ネットでサッと調べた場所にもない。撤去されたのか。世間は喫煙者に対して本当に風当たりが強い。

結局、公園入口付近の一角に、そのスペースをようやく見つけた。早足で駆け込み、2本ほど連続で吸う。中身がスカスカのハイライトは一瞬で短くなり消失した。喫煙欲は大体満たされた。


上野に行くとほぼ必ず寄るドトールで、午前中読んでいた小説を開く。店内で注文したのは、ミルクレープとハニーカフェオレ。甘味に甘味。ブラックコーヒーは午前中に2杯飲んだのでもう十分である。

500ページを超えるその小説は、ここにいる間だけでは到底読みきれそうにない。それでも淡々とページをめくっていたが、3章の途中辺りで、同時に聴いていたプレイリストが終わりを迎え周りの声が鮮明に聞こえるようになってから、集中力が一気に途切れた。もっと速く本が読めたらな、とはいつも思う。

帰り際に、Gmailの受信ボックスを確認する。抽選に申し込んでいたライブの、当選メールが届いていた。よかった。楽しみがまたひとつ増えた。

 

試験勉強は全く進んでいなかった。

 

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