ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

真面目と言われたくない

子供の頃から、なんか「真面目」と言われることが多かった。社会人になった今でも人から事あるごとにそう言われる。昔からそれが純粋に気に食わない。真面目と言われると、何だかバカにされているような気分になって不快になる。

 

そう考えてしまう原因は、実際に嘲笑のような形で真面目と言われた経験があったからだと思う。僕が中学の時に所属していた吹奏楽部では、夏の制服であるポロシャツのボタンを常時全部留めなければならないというよく分からない暗黙ルールがあった。校則上ではひとつ留めていれば問題なかったのに。

同学年で吹奏楽部の男子が極端に少なかったせいで、ぴっちりすべてのボタンを留めている自分は、目立つとまではいかないが変な風に見えていたのかもしれない。ボタン自体は別にどうでもよかったものの、クラスの人から「真面目だな~」と笑いながら言われた記憶が鮮明に残っている。

部活あるあるの、校内で先輩を見かけたら大きな声で挨拶しなければならないという決まりも拍車をかけていた。校内でこの習慣があったのは吹奏楽部だけで、こちらはだいぶ浮いて見えていたと思う。当然同じような言葉を投げかけられるのだけど、ちゃんとやらないと後でメチャクチャ怒られるから仕方ないやん、何も知らずに好き勝手言いやがって、という気持ちでいつもスッキリしなかった。ポロシャツのボタンも、実際に注意された例があったのだ。

そんなガチガチに固くて練習も厳しく苦痛ばかりだった部活を、僕は途中で辞める勇気もなく3年間続けてしまった。何もかもしんどかったが、辞めることで同級生や先生から今後どんな目で見られるかが怖くてたまらなかったのだ。自由も利かず理不尽に怒られ続け、おそらく本来思春期で身に付けるべきだった自信を持てずに大人になってしまった。

 

学生の時に一度、「真面目と言われるとバカにされている感じがして嫌だ」と友人に話したら、「そう考える意味が分からない」と返されたことがある。やっぱり僕がおかしいのか。心のものさしが歪んだまま、体だけ大きくなってしまったということか。

 

自分は決して真面目なんかではない。出来ればずっと何もしたくないし、いろんなことをサボっていたい。ただ怒られたり嫌われるのが怖い極度のビビリなだけだ。ちゃんとやらないと不当な扱いを受ける。この考えが、自然と頭に染み付いて抜けなくなってしまった。

就職してからもそうだ。上司は与えられた仕事や指示をこなさないといつも怒るくせに、それで不安になってしまう自分のことを、真面目の一言で片付けられるのは心底不快だった。真面目=他に特徴の無いつまらない奴、というイメージもあったからだと思う。つまらないならそう言え、無能なら無能だとハッキリ言ってくれ、中途半端な励ましみたいな言葉で濁すな。

望みもしない方向に自分のイメージが固まっていくのがすごく嫌で、会社にいるのが年々苦痛になってしまった。でも実際に目立った能力もないし、将来に展望もないし、自分が評価されるのは本当にそこだけなのかもしれない。周りはあらゆる方面で優秀な人ばかりに見えて、自分のことがどうしても惨めに思えてしまう。何だか悲しくなってきた。

 

もうずっと真面目という言葉や概念を生理的に嫌悪しているけれど、こんなことをバカ正直に書いてしまう自分は、やっぱり何だかんだで真面目なのかもしれない(認めたくはないが)。しょうもない失敗ばかりやらかす無能な自分が会社の昇進試験に合格出来たのも、真面目な部分を見てくれていたからなのかもしれない(単にビビりながら仕事をやってただけだが)。

 

それなりに色々経験した今、ハッキリ分かったのは「人間は何だかんだで自分が一番かわいいと思っている生き物だ」ということである。

人間は他の動物と比べるとちょっと脳が発達したおかげでいろんなことが出来るけれど、根本的なところは本能に忠実な動物とほとんど変わらない。保身に走る政治家も、悪質なクレーマーも、発言や態度がコロコロ変わるインフルエンサーもどきも、自分が気持ちよくなる行為ばかりをやっているだけに過ぎない。昔居た職場で先輩から雑にあしらわれることが頻繁にあったけど、実際その人も業務に追われていて忙しかったのだ。大抵の人は自分のことに精一杯で余裕がないのかもしれない。

 

この「自分かわいい論」に当てはまるのは、もちろん僕だってそうだ。入社1年目の新人のチューターを任された時、まだ分からないことだらけだろうからなるべく優しく振る舞おうと考えていた。しかし常にそうすることは出来ず、仕事が立て込んでいる時期はあまりにも適当にあしらってしまったなと思う場面が何度もあった。

他人に優しくすることにも限度がある。我慢のキャパシティが人より小さい僕は、すぐに限界を迎えて逃げたくなってしまう。でも、そうすることで自分を守る図々しさもある意味大事だなと思うようになってきた。僕は本能に抗えるほど出来の良い人間ではないので、自分最優先でも人を傷つけないやり方を考えて追求するしかないか。

自分を大切に出来ない人は周りを大切にも出来ないといった言葉もあるし、どうにか自分を労わる手段を持っておくのが大事なのだろう。音楽のライブや銭湯にサウナ、読書、散歩、コーヒー、美味しい食事(チェーン店大好き)。今でも楽しみが色々あるけれど、今後はどうなるかな。

 

回らない頭でも少しずついろんなことが分かってきたし、適度なサボり具合も掴めてきた。それでも不安はなくならないのだろうけれど、大体のことは意外と何とかなるようだし、適当に受け流すことが大事なのだと思う。

いや、でもやっぱり怒られたり失敗したら落ち込むし、気に入らないことを言われるとムカつくな。表面上は流れに従うしかないにしても、心の中ではずっと社会に楯突きながら過ごしていきたい。

 

 

 

特別お題「今だから話せること