the pillowsのツアーファイナル公演に行ってきた。アルバム「ペナルティーライフ」と「GOOD DREAMS」を振り返っていく再現ライブだ。会場はKT Zeep Yokohama。
このツアーに来たのは初日公演以来、2回目の4ヶ月ぶり。再現ライブなのでセトリの曲は分かっているものの、その順番は既に半分ほど忘れていた。きっとこれぐらいの方が新鮮味も増して楽しめるだろう。
僕の立ち位置は1階フロアの真ん中辺り。ライブ中はマスクが煩わしくなり、『スーパー トランポリン スクール キッド』の辺りで完全に耳から外した。もうええやろと、なんか変なしがらみがほどけたような感覚だ。マスクを外すと呼吸が快適で、想像の何倍も気持ちよかった。数年前はこれが普通だったんだよな。
この日のハイライトは、アルバム表題曲の『GOOD DREAMS』だ。「ノーカウントのゲームに慣れそうで 疑ったり悟ったフリして」という歌詞がまるで自分の心を見透かされているみたいで、更にそこからサビに入るところで泣きそうになってしまう。
アンコールのあとにさわおさんが感極まっているところをリアルで見て、ここでもいろんな気持ちが込み上がってきた。
僕は20数年生きてきただけで、いわゆる心のものさしやレンズがものすごく歪んでしまったと感じる。嫌な経験が積み重なった結果、「とにかく自分が不快な思いをしたくない」という気持ちを優先して動くようになった。そのためにどうしても生理的に受け付けられないものは拒絶してしまう。
自己防衛本能としてある意味当たり前の感情なんだろうけれど、周りを見ると自分だけがズレているのかも、と不安になる場面が多々あった。こんなことを強く意識するようになってから、以前よりも精神的なブレーキがかかるようになってしまう。
今年に入ってから、ツイッター上でthe pillowsの曲をイメージした短歌「ピロウズ短歌」なるものを作って投稿している。
元々短歌なんてド素人なうえ、酒に酔った勢いの見切り発車で始めたものなのだけど、最初の投稿からしばらく経ってからいろんな疑念が湧いてしまった。「こんなひねくれた奴が大っぴらに何かをやるのは烏滸がましいんじゃないか」「ピロウズを都合のいいダシに使ってると思われているのではないか」「こんなことやってても結局何も変わらないんじゃないか」
自分の暗い気持ちを細かく書いていくと本当にキリがないし、多分これからも永遠に消えない。しかしそんなものとは関係なく、お前の本当にやりたいことは何だ?とダイレクトに問いかけてくるような力強さが、昨日のライブには確実にあった。(『GOOD DREAMS』を聴きながら、「自分が出来ることはなんだろう」と考えていた。)
コロナ云々関係なく、僕とさわおさんの生き方や考え方は根本から違うと思っている。僕はそもそも性格がうしろ向きだし、会社員として(たとえ本来やりたくないことがあっても)ある程度の一般論も持って現実を見ていないといけない。さわおさんのようにあり余る夢も情熱もないし、いつでも信念を貫き通せるほどの強さも自信もない。
おそらく分かり合えないだろう部分がたくさんある中、強過ぎる音楽の繋がりによって最高の夜が実現した(もちろん僕だけの力ではなく大勢のバスターズと一緒に)。あの場の全員が同じ景色を観られて、同じ感動を得られたはずだ。
ピロウズに限らず、音楽ライブで望んでいる気持ちは演奏者も観客もおんなじで、だからこそ、その時その時で最高の瞬間が生まれるのだと思う。この夢のような感動がいちばんの生きる糧になっているので、僕はこれからもライブ会場に足を運び続けるだろう。
色々歪んでしまった部分も紛れのない自分だし、ちゃんと受け入れつつやれること・やりたいことが出来ればいいな。そうしていれば自然と前に進んでいることを信じたい。そんな気持ちを込めて、ピロウズ短歌を一首作りました。
逆境で歪んだ姿も「僕」だから刻み続ける夢の足跡
(the pillows『GOOD DREAMS』より)