ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

組織は当てにならない(3月中旬の日記)

3月15日(金)

最近ずっと元気が出ない。平日は不安とストレスにやられていて、休日もそれに引きずられているように息苦しく、気分が全く良くならない。この前、残業中に職場の人から元気?と声をかけられて「元気じゃないです」と真顔で返したら、「冗談を言えるうちはまだ大丈夫だ」と言われた。冗談なんかで言ってないわ、ぶっ飛ばすぞ。

今日は半休を取りたかったけど急用で叶わなかった。金曜日は休暇やテレワークで執務室もすっからかんだし、こういう時に割を食うのはいつも下っ端だ。会社に居る限り人権は無い。やる気が失せたのでだらだら仕事していた。この日記は会社の個室トイレの中で書いている。

用事が終わってから時間休で逃げるように退社。今日から開催されている某展示に行こうとしたけれど、待ち時間が長いそうなのでまっすぐ帰宅した。

 

3月16日(土)

天気の良い休日。春特有のぼんやりした空気と憂鬱感にすごく共感出来るので、僕はふくろうずの『灰になる』という曲が大好きだ。

灰になる

灰になる

  • ふくろうず
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

久しぶりに水元公園まで行くことにした。バスで行こうとしたが待ち時間があり、徒歩で行くのと到着時間が変わらなさそうなので、自宅から歩いて公園に向かった。

オープンワールドのようなだだっ広い空間は気持ちいいけれど、途中からただ歩くことだけが目的のように感じてしまった。せっかく来たのに、なんか不毛だ。昔はそういう無駄っぽいものも楽しめたはずなのに。

去年の日記本の表紙写真にも使った金魚展示場に着いてから、そういえば橋を越えた反対側に植物園があったことを思い出す。一目見たかったけれどその近辺は既に歩いたところなので、わざわざ戻るのもめんどくさい。レンタルサイクルという便利アイテムを利用すればよかった。2時間ほど歩いて足腰が痛くなったので、バスに乗って帰った。ラーメンを食べて帰宅。

 

3月17日(日)

大したことはやらず。夕方、スタジオでドラムを叩いた。喫茶店でコピーするための曲を聴いたら、つい歌詞が刺さってしまい泣きそうになった。

 

3月18日(月)

出勤。もちろんやる気は湧かない。自分の説明下手なところを、一瞬だけど人からかなりキツく言われた。こういうのはもちろん僕がいちばん悪いんだけど、わざわざそこまで言うことないだろふざけるなと、内心ものすごく苛立った。最近余裕が無さすぎて、ほんの些細なことでもイライラしてしまう。

その日はずっと気分が晴れずにつらかった。自分だけが苦しんでいるみたいで、なんか一人だけ高難易度の違うゲームをプレイさせられている気分だ。社会性も将来性もないし、生きる価値もないよなぁとか考えてしまう。布団に潜れば気分は多少和らぐけど、数時間後にはまたあの嫌な会社に行かなければならない。

 

3月19日(火)

何も事件は起きなかったけど、1日中ダルかった。会社に居ると、身体に毒が溜まっていくようにどんどん苦しくなる。

最近は平日にツイッターを見る気力が全く湧かず、ブルースカイに愚痴と弱音ばかりこぼしている。見ている人が少ない分、抵抗も少なくて楽だ。あちらをフォローしているごく僅かな人たちには申し訳ないけれど…。

 

迷いに迷ったけれど、時間休で早めに退社。その足で、渋谷PARCOで開催されているほぼ日曜日のイベント「ひみつストレンジャー展」へ行ってきた。スピッツのアルバムを題材にした絵本『ひみつストレンジャー』の原画が展示されている。アルバム『ひみつスタジオ』収録曲の物語のほか、収録から漏れたシングルのカップリング曲を題材にした物語もここで初公開された。

仕事帰りのスッキリしない状態で来るべきではなかったかもしれないと、直前で後悔しそうになったけれど、会場に居ると少し落ち着きを取り戻した。物販でおまもりと缶バッジを買う。

ロボットのi-Oくんがお出迎え

手鞠

チケット、おまもり、缶バッジ


3月20日(水)

祝日。予報では午後に雨が降るらしいが本当か?と思うくらいの快晴。雨は本当に降ってきた。

 

安楽死が合法の国で起こっていること』を読み終える。スイスやオランダなど安楽死先進国の実情から、安楽死問題と似た性質を持つ「無益な治療」論(患者の状態などにより、医師の判断で治療を差し控えたり中止したりする判断の考え方。様々な呼び名があるが本書では一貫してこう書かれている)を交えた、日本も含んだ各国の医療現場の現状などが書かれている。

医療側の良くない事例を色々見ると、医療以外でも当てはまりそうな組織の性質も起因しているように見えた。限りのある資源や資金、あとは個人の裁量などによって人間の命に直接影響が及ぶので、事態も深刻になってくる。結局すべてを満たすのは困難なので、たくさんの立場や視点から個々の患者と向き合う姿勢が大事なのかもしれない。

しかしまぁ、実際には医師一人ひとりがこれらを実現出来ないことで問題は起きているのだろう。僕は医療のことは全く何も分からないけれど、例えば自分のいる組織や仕事でも、真っ当な正論で片付けられない場面があったりする。分野が違っても所詮は人間が運営している組織だ。人間は自分がいちばん可愛い生き物なので、正しさとか理想論とは関係なく自分たちが得する(または安全に身を守れる)方向へと舵を切っていくものだと思っている。

あくまで人生の選択肢のひとつとして安楽死があってもいいのではとぼんやり考えていたけれど、そういう制度は個人の意思から、やがて強い立場の人間や集団の思惑に利用されて肥大化・悪化してしまう現実の怖さを知った。日本は特に同調圧力の強い空気感があるし、下手な導入は危険だよな。

 

僕自身に否定的な考えが根付いてしまったせいで、自分以外の他人や組織全体を動かすイメージが全く持てなくなった。結局は各々が勝手にやりたいようにやっているのだから、自分がそれらをまとめ上げて改善していける気がしない。根本的に上に立つべき人間ではないのだろうと自覚している。組織を変えたいとか業界を良くしたいとかいうのは、もう熱意や力のある人がやってください…。