ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

普通って何だ

萩原あさ美『娘の友達』最新刊を読んだ。

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高校生の娘をもつ父親(妻は他界している)と、娘の友達の女子高生とがふとしたきっかけで危ない恋愛関係?に落ちていく物語なのだが、

いつも読んでいてヒヤヒヤさせられる一方、寂しさや日々のプレッシャーから、(たとえ倫理に反することになっても)他者からの愛を欲する父親の気持ちは何となく理解できるような気がした。僕は独身なのだけど。

 

この4巻のテーマになっていた「"普通"ってなんだろう」。

世の中にはいろんな「普通」が溢れている。人間関係の云々に限らず、普通の生活、普通の行動、普通の礼儀、普通の社会人、普通の男、普通の女、普通の人間、、、

その「普通」というのは自然の摂理で生まれたものはそんなになく、「大多数の人がそうしてるから」とか「これを普通としておけば色々やり易いから」といった理由で人によって作られた「普通」が大半だと思う。

社会人とはこうあるべきだ、的な本当に世間で共通とされているような普通もあるけど、環境や家庭や会社が違えば、同じ分野でも全然違う考えの普通があったりする。普通って様々だ。

 

似たようなものに「ルール」があると思っている。こちらは具体的には違うものの、「色んな種類に富んでいて大多数が生き易いように人が作り上げたもの」という意味では同じように見える。

例えば、僕は現場系の仕事をやっている。

図面の設計にしてもルールがあるのだけど、異動前の事業所で設計を覚えていたので同じやり方で作業を進め図面を作り上げると、この事業所独特の設計ルールがあることを知った。

僕としては色々腑に落ちない部分だらけだったが、この話における「ルール」を「普通」に置き換えても大して違わないように見える。

結局のところ、「あちらの普通とこちらの普通」「あちらのルールとこちらのルール」。殆ど同じじゃないか。

(世間で共通のルールといえば、法律とかがその代表だろうか?)

 

だからどうしたいってものも無くてイマイチ収束のしない文章になってしまったけど、『娘の友達』を読みながら「普通」について色々考えてしまったので、それを書き綴ってみた。

 

社会に溶け込めば溶け込むほど、余計な普通やルールに縛られていく。

そういう生活に、もう疲れてしまったな。

 

それにしても同じ会社なのに設計とか諸々のルールが職場によって違うなんて、やっぱり腑に落ちんな。

それをどうこう言えるほどの気力も最早ないんだけども。