ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

気付けば社会の歯車となっていた

今のコロナ禍におけるマスク社会を見ていて思い出したことがある。中学時代のことだ。

 

中学時代に所属していた吹奏楽部は、一応県内有数の強豪校という位置付けにあった。

県内有数の強豪校という位置付けにあったので、当然練習は厳しいものだった。

学校の授業が終わると毎日陽が暮れるまで練習、土日も朝から夕方まで練習。長期休みなんて無いに等しいも同然だった。

 

そんな部活生活の中で、確か中学2年くらいの夏だったと思うけど、世間で新型インフルエンザが流行した。一部のクラスが閉鎖されたり部活が一切停止になった時期があったりして。

吹奏楽部も流石に例に漏れずしばらく練習はなくなったのだけど、部員は必ずマスクをつけて学校生活をするようにと部から正式に御触れが出た。

他の部活ではそこまで厳しくされていない所も多かったせいか、周りと同じようにマスクをつけずに過ごしている部員もいたりした。そういう人たちは顧問とか先輩に結構注意されていたらしい。僕は怒られるのが嫌だったので、何も考えずマスクを身に着けていたのだけど。

 安直すぎるけど、なんだか自粛警察の行動と結びつくところがあったよなぁと考える。

 

 

違和感のある場面は他にも色々あった。

 

合奏練習の間、管楽器の人たちのミスの方が頻繁に目立つ時がある。音のピッチが中々合わなかったり、ひどい時はくだらないミスを連発したりして講師の先生は怒り、顧問もブチ切れて長時間の説教が始まる。(打楽器だった僕はミスの無いよう淡々とやっていた、つもり。)

この説教モードは最早恒例のパターンなんだけど、僕はいつも心底うんざりしていた。先生が色々熱く喋っている間、早く終わらないかなーとばかり考えていた。同じ部員なので全く無関係と思ってはいけないけれど、自分は何もしてないのにここまで一緒に付き合わされることにどうしても納得がいかなかった。説教は練習終了予定時間を平気で越えて続いたりしてたし。

 

部員だけでのミーティングも頻繁にあった。

上級生が主となって、よくない所やたるんでる点などを注意していくという進め方だ。1人ひとり(特に3年生)が何か注意をしなければならない、というような暗黙のルールみたいな空気感があって、ミーティングの連絡が入る度に憂鬱になっていたことを覚えている。

僕は周りへの関心がほぼ皆無だったので、適当に重箱の隅をつつくような注意を促したり、だるい時は全く発言しなかったりという体たらく。皆、いろんなことに気付けてすごいなーといつも思って聞いていた。終盤辺りになって指摘するところが無くなってきて、同じような状態になる人も明らかにいた。

部員の気を引き締めるためにやるといつも言っていたけれど、僕にはどうしても形だけやってるだけじゃね?と捻くれて考えていたものだ。

 

夏のコンクールの時期になるといつも赤い鉢巻を頭に巻いて練習をする習慣があって、これも僕にとってはすごく苦痛だった。おでこに布がくっついている違和感が気持ち悪くて、演奏に集中できなくなってしまうのだ。

身に付けていると集中できなくなるので鉢巻は外して譜面台に掛けたり、コンパクトに折り畳んで目に留まる位置に置いたりしていたのだけど、そういうのよくない、と周りが注意していたこともあった(確か鉢巻つけてなかったのは僕だけじゃなかった記憶があるので)。

正直咎められる意味が全く分からなかった。気持ちがまとまらないって何だ。意味のないことを強要して集中力を落とさせてどうするんだ、これは我慢大会じゃないんだぞ。当時はあまり深く考えずに仕方なく従ったけれど、あの時抗議していたら何か変わったのだろうか。

思えばあの頃の自分は、同調圧力みたいなものに無意識で流されていたのだと思う。湧き上がる違和感に対して反論できなかったというよりかは、反論する能がなかったと言った方が正しいだろう。所詮中学生にそこまで深く考えろと言われても無理だっただろうけど。

 

こういう連帯責任や同調圧力、考えれば考えるほど現代社会に通じるものがあるのではと思ってしまう。

学生時代に強豪の部活に入っていた人は、少なからず似た思いを抱えたことがあるのではないだろうか。大半の人は、そういう違和感を跳ね除けて夢や目標に向かって精進していたのかな。僕はいろんな理不尽に対して頭が麻痺してしまって、正直夢も目標もコンクールも全国大会金賞なんかもどうでもよくなっていた。県大会で落ちてさっさと楽になりたいとさえ考えていた。

 

気付けば僕は社会に対する英才教育をされていたのか。

当時つるんでいた友人たちは全然違う男友達ばかりだったのだけど、いつも自分だけ浮いているように見えて何となく疎外感を感じていた。皆それぞれ部活に入っていたけど、僕だけあまりに環境が違っていたことは明白なので、浮いて見えることは仕方ないことだったのかもしれないな。書いていると傲慢に見えるかもしれないが。

 

そんな早い段階で社会の歯車を経験していた自分が、今は休職。でもあの頃から全く周りに適合できていなかったので、この結果はある意味必然だったのかもしれないな。