ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

新年とか部屋とかの話

上京してもうすぐ7年になるのだけど、何気に東京で年を越すのは今回が初めてだった。それまで毎年徳島の実家に帰っていたり、コロナ云々の問題で帰省出来なかった去年は京都へ旅行していたので。

去年も親から実家に帰って来ないようにと命令を受け、ついでに旅行の計画も立てられずに東京でぽつんと1人新年を迎えることになった。大晦日にもライブがあり、そこで何人かの知り合いと過ごせたのはよかった。

 

正月はほとんどの店が休業している。商店街のBGMも流れず、ほぼ無音。ふらっと街を歩いてみると、休日の昼間なのにどこか閑散としている雰囲気が逆に心地良いものだった。

 

ふと生活に関するエッセイを読みながら、自分の部屋を見渡してみる。テーブル、座椅子、布団、ソファ、テレビ、コーヒーメーカー、炊飯器、オーディオコンポ、カラーボックスとそこに入っている本や小物。

必要最低限の家具や自分の好きなものがあり、それ以外に余分な空白がある。それはカーペットが敷かれているだけで何も無い中央の空間とか、真っ白な壁とか(元々ポスターを貼ることには関心がない)、そういうものだ。

散らかる原因にもなるし極力部屋に物は増やしたくない主義なので、これからも大体こんな空間で過ごしていくのだろう。時々部屋全体に意識を向けることで自分の生活について考えたりする。

 

自分の部屋や住んでいる街は割と好きなのだけど、そういう気持ちに浸ると同時に、「会社に縛られている」という事実も必ず意識してしまう。借り上げとはいえ、ここは会社の社員寮なのだ。

僕が会社を辞めるとなれば、同時にこの部屋からも出ていかなくてはいけない。実家に帰らず関東に残るとしても、都内に住むのはコスパが悪そうなので郊外に引っ越さざるを得ないと思う。

新卒で入った会社を今も何とか辞めずにいるけれど、この状態は長く続かないと思っている。仕事とか責任感の問題ではなく、ここでの嫌な記憶がどんどん積み重なって、最終的に全部放り出して逃げてしまいそうな気がしてならない。現に今でも、たまに現場時代のトラウマや先輩から言われた暴言を不意に思い出して勝手に落ち込んでしまう。

 

自分の生活が会社ありきのものだという事実を思い出すと息苦しくなる。そもそも組織とか集団の在り方について、ここ数年で嫌悪感が強くなっていることもあるだろう。

しかしまぁ、これからも何年かはこの部屋や街にお世話になりそうだし、何とかやっていくしかないか。僕が仕事をするのは仕事以外の生活のためで、会社第一には絶対なってやらない。

とりあえずもしもの時に備えて貯金はちゃんと続けよう。色々考えながら、フラワーカンパニーズのライブチケットを買ったのだった。

 

本年もここで好き勝手に書いていくと思いますが、何卒よろしくお願いします。

 

 

余談:元日にくるりの岸田さんが、ツイッターで『loveless』の楽曲を取り上げてくれてすごく嬉しい気持ちになった。少しでも良い世の中になりますように。