ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

文学フリマ出店を終えて

文学フリマ東京37が終わりました。文フリはこれまで何度も一般客として来ていたのですが、今回は自身の日記本を携えて、初めて出店者として参加しました。

10時半に会場入りしてからはずっと緊張しっぱなしでした。文フリ開催中も、全体の賑やかさや諸々の不安にやられて、時間はあっという間に過ぎていったように感じます。

 

当日のブース

 

今回販売した日記本『たとえば、こんな生活を』は、このはてなブログで書いてきた約2年分の日記を整理して本にしたものです。分かりづらい表現や画像・動画が無いと説明出来ない部分は省略したりなど、原稿を作る際に細かいところを修正しています。

しかし、それでもページ数は本文だけで264と、メチャクチャ膨大になってしまいました。ある程度覚悟はしていたとはいえ、自宅に現物が届いた時は、あまりの分厚さに自分でも笑ってしまいました。同人誌を作った経験のある方なら分かるかと思いますが、これだけページのある本を800円で売るのはかなりの赤字になります(もちろん印刷部数にもよりますけど)。

ページ数を減らせなかったのは、自分にとって残したいものをすべて原稿に詰め込んだからです。原稿を作りながらこれまでの日記を読み返す形となり、その時その時で自分の心境が分かりやすく移り変わっていることに気付きました。特に2021年は自分でも思い出したくない嫌な記憶を引きずっていて、読まれると恥ずかしい部分もありました。

しかし、日記本制作における自分ルールとして「これまでの人生をひとまず総決算する気持ちで作る」というものがあり、それに従うと省略出来ない部分が多かったのです。こんなことを書くと失礼かもしれませんが、自分がなるべくいちばん満足のいく形に仕上げることが第一で、売れ行きとか人に読ませることはその次ぐらいの気持ちでした。

 

冷静になって考えれば、自分の生活を文章にして晒すことって相当リスクのあるものだと思います。表現などは日頃から注意をしているものの、会社の人にブログや本を読まれれば、おそらく一瞬で特定されます。時代も時代ですし、ネットのアカウントはいつ誰にバレてもおかしくない、何なら既にどこかでバレているかもしれないけれど、やっぱり特定されるのは怖いです。文フリの出店時も、会社の人には会いたくないし来てほしくないと本気で思っていました。

これは自虐ではなくただの主観ですが、そもそも知らない人の生活を綴ったものなんて、日記好きや活字好きの人でない限り中々買う気にならないでしょう。何かしらのテーマに沿ったものなら、分かりやすくて興味も持たれやすいかもしれませんが(育児とか特定の趣味とか)。僕の日記本に関しては、その分厚すぎる内容のせいで買うのを躊躇ってしまった方も、確実にいると思います。

 

それでもブースにはいろんな人が来てくれました。知らない方が最初の1冊目を購入してくれた時は嬉しかったし、遊びに来てくれた友人やツイッターのフォロワーさんたちにもすごく精神を支えられました。僕の出店がきっかけで初めて文フリに来たという人もいて、何だか誇らしい気分にもなりました。

他にも日記を読むのが好きな方やブログの読者さん、はてなのスタッフさんまでお越しいただき感無量です。宣伝や準備を頑張った甲斐がありました。見本を手に取ってくれた方々も含めて、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

元々熱意や気力のある性格ではないのですが、今年の4月に年度が替わってから、なんか自分の中のエネルギーが急に抜けていくような感覚があったんですよね。今回の文フリ出店や日記本の制作は、そういう喪失感に対して無意識にヤバいと感じていたことによる行動なのかもしれません。

何もかもが初めてで不安と緊張ばかりでしたが、自分にとって良い経験になりました。1人で進めなければならないことが多かったとはいえ、印刷会社さんや文学フリマ運営事務局の方々、ご来場くださった皆さんやいいね・スターをくれた方たちなど、いろんな人に支えられていたことを忘れないようにします。本当にありがとうございました。

「最初で最後の文フリ」という気持ちで臨んでいたし、次回以降も出店するかどうかは今のところ分かりませんが、気力があれば経験を活かして何かを作るかもしれません。来年は東京ビッグサイトでの開催もありますので、単純に一般来場者としても楽しみです。日記の更新は、これからもマイペースに続けようと思います。

 

最後に、今回の日記本の骨組みになっている音楽を載せます。くるりの『loveless』です。去年のライブでこの曲を聴いてから、「これは僕の人生の土台となる曲かもしれない」なんて大げさなことをずっと考えています。

 

 

今月末は3年ぶりに実家に帰省するぞ!