ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

性格と人格

ブログの更新をかなり空けてしまった…。

仕事の方がリアルに過酷で、他のことに集中する時間が中々取れないでいた。

冬場は寒いだけでなく仕事も立て込んでくるのでいつも精神的に余裕がない。今でこそ付け焼刃の対処法をそれなりに覚えたが、それで業務が片付く訳ではないしな。

2、3年前まではこうなるとすぐに過呼吸みたいな状態に陥っていたけれど、今は「まぁ最終的には何とかなるんじゃないの」って気持ちでいることで平静を保っている。危機感がなくなってしまったという言い方もできるけど。

 

 

森博嗣すべてがFになる』を読んだ。

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何気にミステリー小説をちゃんと読んだのは初めてだった。話が複雑そうな偏見があって、何となく敬遠していたのだ。

この作品は登場人物の描写が印象に残りやすく、謎解き云々の前に、ストーリーとして読んでいて面白かった。

ページ数が多いので何日もかけて少しずつ読んでいたけれど、ストーリーの内容も鮮明に残っていてスラスラ読めた(普段は日を開けるとそれまで読んでいた話の内容を忘れてしまうこともあって、小説は1~2日で読み切るようにしている)。人に読ませる話を書くのがうまいということだろうか。プロの作家さんの実力みたいなものを感じた瞬間だった。

物語の終盤で数多くの伏線を回収していく様が読んでいて気持ちよくて、どんどんページが進んでいったな。職場にいる読書家の人がミステリー小説の醍醐味を何度も話してくれていたのだけど、それがようやく理解できた気がする。

一見ややこしそうなコンピューターや機械とかの用語が割とすんなり頭に入ったのは、僕が一応理系の学校出身だったおかげかもしれない。

 

 

この物語で僕が一番印象に残ったのは、『多重人格』という要素だ。

作中では真賀田四季女史が多重人格者として扱われていて(事件の真相からしてそれすらも長年の演技だったという捉え方もできるが)、犀川先生は「元々個人の中にはいろんな人格が存在していて、寧ろ単一人格者の方が少ないのではないか」というような発言をしていた。

実際、犀川先生自身にも「原始的な人格」と表現されたもうひとつの人格が表れかける場面があって、この部分は何となく僕も共感できるところがあった。ある種の強迫観念にとらわれて、無意識に訳の分からない行動をとったり、反対に何も出来ず無気力になってしまう自分に通ずるような何かを感じたのだ。

 

それと同時に疑問に思ったのは、「これ、人格じゃなくて性格じゃね?」ということだった。

性格と人格、それぞれの意味をネットで調べてみたら、前者は『その人特有の感情や意志の傾向』、後者は『性格よりもっと広い意味での個性、行動様式、人間としての在り方』というような表現で書かれていた。

性格のもっと広い意味って何なんだろう…。僕は何となく「いくつもの性格が集合体になって個人の人格を形成する」みたいな感じに思っている。

昔読んだ本の主人公の発言に、「性格や気質や本性とかいうものは状況次第でどうとでも変わるから信用していない。人によって異なるのは『どういう状況に陥りやすいか』ということだけだと思う」というのがあって、それがずっと頭に残っているからだ。

人間の性格こそ単一じゃないと考えている。温厚と言われる人が全く怒ることがないかと訊かれると絶対そうじゃないし。

 

話を元に戻すと、『多重人格』という考え方に関していえば、上記の犀川先生の発言が概ね合っているんじゃないかな、という考えに至ったことだ。僕個人の考え方からすれば、多重人格というよりは多重性格って言った方が正確だろうけど。

実際にそういう性質を持っていて悩んでいる人がいたら申し訳なくなってしまうけれど、何も分からない他人からしてみれば、自然とそういう解釈になってしまいそうな気がする。結局のところ、自分の気持ちを100%分かる人間なんて自分自身しかいないんだから。

 

 

森博嗣さんの作品、次は四季シリーズでも探して読んでみようかな。

ゆっくり読書する時間が取れればいいのだけど。やりたいことがあっても時間が足りない。