ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

音楽のきっかけは何だっけ

自分にとって音楽とは何か、的な話題が一時期Twitterのタイムラインに流れていた。

長文で真面目なことをあんまり呟きたくなかった僕は、その時はただ人の意見を流し読みしていただけだったのだけど、少し時間が経って真面目に考えてみたい気分になった。

 

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そもそも僕にとって音楽の馴れ初めというのは、間違いなく小学4年生に入ったブラスバンド部なのだろうけど、あの頃は音楽をしているという自覚は全く無かった。

それもそのはず、当時の僕は単に姉がやっていたから入部してみたというだけで、音楽をやりたいという気持ちはほとんどなかったからだ。元々集中力のないガキだったので、練習なんかは苦痛の極みだった。

打楽器を演奏するのはまぁ楽しかったんだけど、「周りの音を聴きながら」「指揮や楽譜に合わせて」「決まった音やリズムを奏でる」ということをなるべく完璧にこなそう、という作業っぽい気持ちの方が強かった。ある意味ゲームのような感覚でやっていた思う。

 

その感覚は中学に入って、殆ど社畜や奴隷と似たようなそれに変わった。ひたすら孤独感や理不尽や苦痛に耐える日々で、音楽をやっているなんていう考えは微塵にも湧いてこなかった。

 

そんな中で、たまたまYouTubeスピッツの『冷たい頬』のPVを見たことがあった。中学2年の時だ。

この曲は当時初めて聴いた訳ではなくて小さい頃に母の車の中で流れていたのを覚えているけれど、久しぶりにしっかり歌詞を読みながら聴くことで、自分の中で確かな感動が芽生えた。

それから一気に熱が来て、ネット上にアップされているスピッツの曲をひたすら聴き漁ったり、過去のアルバムを少しずつレンタルしてパソコンにダビングしたりしていた。

ここで初めて『俺、音楽を聴いているな』と思えるようになった。インターネットしか趣味のなかった中坊に、音楽鑑賞という新しい趣味ができた瞬間だった。

 

やがて中学校3年間の奴隷生活から解放された後も、高専で軽音楽部と吹奏楽部を兼部するなどして、みっちり音楽にのめり込んだ生活を送ることになる。

この頃は部活動もゆるめにやれていたおかげか、演奏者としても音楽を楽しめるようになった。軽音でも吹奏でもドラムスティックを握り、文化祭や地元のライブハウスのステージで演奏したりしていた。それらを純粋に楽しむ余裕が出来て、結果的に中学時代よりも技術が向上したなと思える。

軽音部で知らないバンドを聴く機会もあったけれど、僕は基本的に自力で発掘して好きになったアーティストばかりを聴いていた。そうしてハマったのが、真心ブラザーズとか、LOST IN TIMEとか、the pillowsだったのだ。

そんな感じで、自分の世界が狭くも確実に形成されていったのだと思う。気付けばWALKMANが僕にとって、財布や携帯と並ぶ3大必需品として脳内に登録されているほどだった。退屈な昼休み、何となく憂鬱な学生寮での休日、最後の1年間の通学時、何時たりともイヤホンを耳から外さなかった。

 

高専生活の5年間で演奏者としての音楽は十分やったと思うので、社会人となった現在は、自分から音楽をやりたいという気持ちはあまりない。

それでも僕は、未だに音楽と密接に関わった生活をしている。

上京したての頃は好きなバンドが生で観られるというだけで興奮が止まなかったし、今でもその高揚感は人生の糧になっている。音源で惹かれたずっと真夜中でいいのに。やヨルシカは、そのライブパフォーマンスに圧倒されてより一層好きになった。

お気に入りのアーティストも少しずつ増えてきて、自分の世界もだんだん豊かになっている感じがある。

上京して間もない頃に聴くようになったLAMP IN TERRENを、今でも通勤時や気力の湧かない休日に聴くことで心を落ち着かせている。社会の理不尽さに打ちのめされた時は、ハルカトミユキの曲がいつも沁みていた。

 

こうやって音楽のルーツを辿ってきて思うのは、もう音楽が完全に僕の生活と一体化してしまっているということだ。なんか気付けばくっついて離れなくなっていた、といった感じか。

理由もなく憂鬱でやる気が湧かない時も、「だるい。今日はあかん。曲流して寝よ。」という風になって、身も心もしょっちゅう音楽に委ねてしまっている。ここまで来ると、もはや『逃げの手段』として活用してしまっているけれど。

 

曲やアーティスト達が直接生活を支えてくれている訳ではないし、「音楽に救われている」という感覚は僕にはちょっとわからない。この世から音楽が無くなっても多分死にはしないだろうことも、26年生きてきて流石に分かってきたし。

 

最近気付いたのだが、去年辺りから音楽の新規開拓を全然やらなくなった。もうずっと同じアーティストやプレイリストを延々と聴き続けている。

そうなった原因はハッキリと分からないけれど、その時期にライブに行けなくなったことや、仕事が単純な苦痛でしかなくなっていたことなど、様々な負の影響が相まって感性が鈍ってしまったのかもしれない。

ただでさえ周りへの関心が薄くて飽きっぽい性分なのに、そのうえ更に視野を広げられなくなってしまったことは悲しい。けれども、そんな心が死んだような状態でも聴き続けられる音楽というのは、それこそ一生染み付いて離れないものなのでは、とも思う。

 

そうして離れなくなった憑き物に、今もなお生かされている感覚があるので、可能な限りそれらを大切にしたい。直感で「これいいな」と思えた若い頃の感性ぐらいは、忘れずに持っておきたい。

この先歳をとってどんどん生命力が弱っていけば、本当に世界の全てがどうでもよくなってしまうのだろうか。どうなるか分からないけど、自分の中に何一つ気持ちが無くなってしまう、その時まで。

 

そうだ。
何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。
何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、
本当に、本当に綺麗だろうから、

(ヨルシカ『盗作』より)