1年半ほど日記を書き続けてきたが、6月になったのを機に、毎日書く習慣は一度やめることにした。
最初の頃は仕事しかしていないような日でも丁寧に書き記すことで面白さを見出していたのだけど、流石にそういうことにも疲れてきた。最近は書き過ぎると身バレが怖いと思うようになったし、日常生活の愚痴も多くなってきた感じがあるので、一旦引いた方がいいかと思うようになった。
記憶が鮮明なうちに色々書いておきたいので、日記はなるべくその日か翌日ぐらいに書くようにしているのだけど、金曜日の日記を書くのが地味につらい。土曜日は仕事の疲労が溜まってほとんど動けないし、かと言って放置すると何か大切な記憶が抜けてしまいそうで、強迫観念にやられるようにスマホアプリを開いてしまう。しばらくは書けそうな日だけ書いて、ある程度下書きに溜まってきたら更新することにする。
(書き溜めているぶんをあと1回更新する予定です。)
スピッツのツアーのチケット抽選に、もうかれこれ10回ぐらい申し込んだ。関東公演に全敗して、どうにか行けそうな地方公演の一般抽選にも手を伸ばした。全部全部落選しており、これが最近のモチベーション低下にしっかり貢献してくれている。
何気なくツイッターで検索をかけてみると、既に持っている地方公演のチケットを譲る代わりに、本来行きたい公演のチケットをねだろうとしている奴が大勢いる。そのチケットはどこで入手したんだ。行けもしない公演のチケットをわざわざ撒き餌のために取ったのか。本当にそこへ行きたい人の枠を奪ってまで、こんなタチの悪いことをするのか。クソだな。
タイムラインでは、公式アカウントによるキラキラしたハッシュタグ付きの呟きを見かける。落ち込んいでる時のキラキラポジティブがいちばん腹が立つ。自分も楽しみたいのにそうし切れないのが歯痒くて、スマホを投げ捨てたくなってしまう。もうお前はツイッター見るのをやめろ。
4月に比べると仕事は落ち着いたけれど、心臓にずっと重いものが残っているようで気分が晴れない。行きたいライブに行けないだけでこんなに酷くなるとは。やっぱり今までがボーナスタイムだったのか。
何もしない時間が尊く感じられて、定時で退勤し布団に寝転がっていると、ずっとこうしていたいとか思ってしまう。今はとにかく週5勤務が憎たらしくて仕方ない。朝の通勤が心底だるい。5日もぶっ通しで働くと当然後半は気力が枯れ、少なくとも土曜日の午前中は使い物にならなくなる。
結局まともに1日動けるのは日曜日ぐらいで、せっかく調子を取り戻したところで翌日にはまた仕事が始まるという理不尽さ。俺の精神が落ち込んだままなのは絶対この害悪な制度のせいだ。もう週休が最低3日になるまで仕事をサボっていたい。
Enfantsの『Autopilot』という曲がずっと刺さりっぱなしである。大人になりたいけどなれない、何も出来ないのでせめて傷付かないように平然と過ごしたい。現実はつらいので機械とかぬいぐるみにでもなれたらよかったのに。
部屋の隅とビッタリくっつくように布団を敷いているのだけど、その壁にもたれかかると、対面に置かれた3つのカラーボックスがよく見える。好きな本や漫画やグッズが詰め込まれたお気に入りの場所。これを見ていると荒んだ心が少しだけ落ち着く感じがある。
そんなカラーボックスの近くにゴミ箱があった。テーブルと座椅子も傍にあり、総合的な利便さからこの位置にゴミ箱を置いているけれど、好きな景色を見るのに妨げとなっていることに気付く。なんか邪魔だな。ストレスにならない別の場所へ動かすことにした。
真心ブラザーズの『JUMP』の歌詞を思い出す。「僕の部屋には楽しいこと溢れてる What a wonderful world」。軽快な音楽の中で時折失った物事を意識しながらも、この曲が全面的に押し出しているのは「楽さ」だ。部屋の中というありふれた生活の素晴らしさを歌って終わるという清々しさも良く、僕が真心ブラザーズの中でいちばん好きな曲なのだ。
自分の人生のピークはとっくに過ぎているのかもしれないけれど、なるべく好きと思えるものを楽しみたいし、そうさせてほしい。マンガの山からCDの森まで、奥深く進んだりするように。