ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

流れ流され今がある

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最近誕生日を迎えて26歳になったのだけど、歳を重ねたという実感は殆ど湧いてこない。

 

それよりも、東京に住み始めてからもう5年も経ったという事実に驚きを隠せずにいる。今は6年目だ。僕の出身である工業高等専門学校も5年制なので、実質高専で過ごしたのと同じ年数を東京で過ごしてしまっていることになる。

徳島で生まれ育ち、地元の学校でのうのうと生活していた僕にとって、東京という街はあまりにも遠くて縁のない場所だとずっと思っていた。おびただしい数の人間で溢れていて空気も濁っているという先入観があり、生理的な嫌悪感すら持っていた時期もあった。

 

そんな生粋の田舎者が上京するきっかけとなったのは、就職活動にあたって先生からとある会社を紹介してもらったことだ。

僕は元々卒業後は地元の公務員にでもなろうかと適当に考えていたのだけど、教えてもらった会社が過去に行っていたインターンシップ先と内容が似ていたこと、何より学校推薦がもらえれば試験が面接だけという甘美さに釣られて、そこを受けてみることにした。そういう会社がたまたま東京にあったというだけで、たとえ所在地が大阪とか九州とか東北とかだったとしても、たぶん僕は普通に話に乗っていたと思う。

 

話を要約すると、『元々別の進路を考えていたけど人の提案に流されて上京した』というような感じだ。でも、こういう急な進路変更は過去に何度もあった。

 

僕は小学4年生から高専卒業までの10年間、吹奏楽部で打楽器をやってきたのだけど、そのきっかけも親が執拗に入部を勧めてきたからだった(姉が先に入部していたということもある)。

それまで音楽とは全く無縁の生活で、当然入部する気もなかったんだけど、ある日突然気が変わってやってみると親に宣言したのを覚えている。気が変わった理由は思い出せないが。

それから何も考えず中学でも吹奏楽を続け、3年間の我慢生活を強いられることになる。内申はものすごくよくなって受験に有利にはなったけれど。思えばここでの選択肢が違っていたら、今僕は間違いなく東京にいなかっただろう。

 

そもそも高専への進学を決めたのも、中3の冬とメチャクチャ急だったのだ。

当初は公立の進学校を目指していたのだけど、そこがたまたま改装され校舎が綺麗になったせいで、自分の年だけ異様に倍率が高かった。そこまで成績がよくなかった僕は、冬の面談で第一志望校は落ちてしまうかもしれないと言われたのと、代わりに高専っていう場所があるよという選択肢を示してくれた。

何とか推薦をもらえ、付け焼刃の試験勉強で合格したのだった。

 

こんな風に急な路線変更を何度も何度も繰り返し、昔は脳裏にさえ浮かばなかった東京の街に、気が付けば流れ着いてしまっていた。

でも結果的にいえば、自分はいい方向に転がったなと思える。東京というカオスな環境のおかげで、僕の行動の選択肢は大きく広がったからだ。

東京でたくさんの好きなバンドを生で観られたり、人の影響でブログやTwitterを始めて交流の幅も広がったりして、昔と比べると人生が豊かになった感じがある。

仕事は全く楽しくなくて休職してしまったほどだけど、いろんな本を読み、さらに自分の経験も通してある程度の対処法を身に着けることができた。正直今でも不安なことだらけだが、周りのいろんな人を見て「まぁ、適当にやっていくしかないな」と落ち着いて考えられる冷静さも得られた(もちろんダメな時はとことんダメだけど)。

 

もし地元で就職していたとしたら、自分の行動範囲は今でも学生時代と殆ど大差なかったと思う。車の運転が絶望的に苦手なので極力運転したくないし、結局中学の時のように自転車でふらふらしながら、TSUTAYAとかブックオフを意味もなく巡ってばかりの未来が想像できてしまう。

この状態で同じように仕事や人生に躓いてしまったら、立ち上がるのに相当な時間がかかってしまっていたかもしれない。今より確実に自分勝手で閉鎖的な人間になっていただろう。

 

流れ流されていいところに辿り着いたのはよかったけれど、言い換えれば「自分の意見を持たず他人の言葉のままに生きてきた」という風にも捉えられる。

事実、僕は歳を重ねるに連れて、自分の意見とか感覚に自信が持てなくなっている感じがある。仕事においても、私生活においても。自分の考えだけで行動したことが失敗に繋がったという経験が、あまりに多すぎるからだ。

社会を生きていく以上は人を頼らないとやっていけないので、流石に考えすぎなのかもしれない。だけどなんか自分はこのまま一生成長できず、子どもの精神のまま生きることしかできないかもという考えがどうしても拭えないのだ。

 

僕はきっとこれからもいろんなものに流されながらふわふわと生きていくのだろう。でも、ある意味それが自分にとって最善の生き方なのかもしれない。

相変わらず間違いや欠陥だらけだけど、そんな自分にでもとりあえずやれそうなことを継続してやっていこう。今までそうすることで多くの繋がりが出来たという実感があるし、この選択だけは間違っていないと思う。

 

どんな状態であれど、外に目を向けることを決してやめなければ、人間知らないうちに成長しているものではないだろうか。これが現時点での僕の考えだ。