ただのモノローグ

しがないヘイホーが書く日記

穏やかな昼間に育つもの

何か専門書を読んだ訳でもないのでこれは完全な持論になるのだけど、人が他人を嫌いになるレベルって3つの段階に分かれていると思っている。

 

第1段階は、「なんかこいつ嫌だな」と思うレベル。"なんか"という曖昧な言い回しが入るのがポイントだ。SNSで知らない人の癪に障る投稿を見たり、人から愚痴を聞いた時に持つ程度の不快感である。このぐらいならその場で嫌な思いをするだけで、自分が深く関わってもいないので一度寝て起きれば大体忘れられる。

 

第2段階は「この人嫌い」とハッキリ思える感覚だ。あくまで僕個人の判断基準になるけれど、第1段階との決定的な違いは「自分が対象の人間と直接関わりがあること」。もっと言うと、自分がその人に直接嫌なことをされたか、というのが大きな決め手になってくる。

子供の頃まで振り返っていくと、この第2段階の嫌いに該当する人間は結構いる。それでも大半は今後一切顔を合わせないであろう者なので、許す許さない以前にどうでもよくなる場合がほとんどだ。今しんどいのは会社で経験した諸々の嫌な記憶である。

すべて以前の現場時代の出来事で、基本的にはどれも自分の不甲斐なさが原因だった。それでもやっぱりあんな風にいうことなかっただろクソが、とか、あいつにあれだけ雑に扱われてなかったら今もうちょっと自信持って仕事で来てたはずなのに、とか、特に残業をしている時にいろんな恨み邪念が脳裏に浮かんでしまう。手っ取り早い解決策はそれを思い起こさせる環境から離れること、つまりさっさと会社を辞めることなのだろうな。それが簡単に出来そうもないからつらいんだけど。

 

 

しかし、実際にはこれ以上に厄介なものがある。最後の段階の「生理的に無理」と感じてしまう奴らだ。第1段階と第2段階は直接繋がりがない場合も多いけど、こちらは大抵、第2段階の不快感から発展していく。

もう読んで字の如く、「嫌いとか通り越して純粋に気持ち悪い。顔も見たくない」と思い直感で避けてしまうレベルだ。会話をしようものならストレスゲージが一瞬でフルに溜まり、顔は曇って今すぐその場から逃げたくなる。職場環境に置き換えて例えると、第2段階の人たちは「この人は嫌いだけど、まぁ仕事は仕事だし話す時はちゃんとしないとな…」と思えるが、生理的に無理な奴に対しては「職場でも絶対に話したくないし顔も見たくない。気持ち悪いから早く異動してほしい」と思ってしまう(今の職場にここまで酷い人はいないけど)。

これに該当する人間がたくさんいる訳ではないけれど、僕にも数人、確実にいる。そういう奴はハッキリ分かるように何か明確な形で拒絶する意思を見せている。どうしてそうなってしまうのだろうと考えると、自分の中で2つの要因があることに気付いた。

要因①は、本当に許せない(許したくない)ことをされた場合。まぁ単純にこれがいちばん大きいよなと思う。僕の経験から補足すると、その行為に対して全く反省の色がないことも嫌悪感を助長させる。

要因②であり地味に大きい要素が、そんな不快な奴と定期的に関わり続けなければならない状況だ。第2段階の説明でも軽く触れたが、嫌いな人からのストレスを減らす最大の手段は「関わらないこと」だ。それが出来ず、どうしても顔が見えてしまう状況が続くとどんどん悪いものが溜まっていってしまう。

 

僕の場合、会社の同期で1人、どうしても生理的に無理になってしまった奴がいる。ここでいう要因②の状態が長いこと続き、その中で要因①にあたる出来事が起きて爆発してしまった、という経緯でダメになった。

そいつは職種も同じだが部署が違うため、今のところ関わる機会がほぼ無いのが救いだ。しかし同期である都合上、研修などで同じ場に集まる可能性は十分あり、頻度が少ないにしてもこれがたまらなく憂鬱で吐き気がするのだ。本当に嫌いになった直後に会社で勉強会を兼ねた会議があったのだけど、嫌いな同期の顔を見るのがあまりに嫌で、体調不良を装い欠席した。そいつの参加する飲み会には絶対に行かない。自分の同期はまだ誰も退職していないが、本当の意味で同期全員が集まる機会は今後確実にないだろう。

 

 

この辺まで書いて、どうして自分はこんなねちっこいことばかり書いているのだろうという気分になってしまった。僕は昔から嫌なことを中々忘れられず根に持ってしまう性分なのだ。普通の人は、ここまで人を恨んだり嫌いなもの・嫌いな人について考えたりはしないんだろうな。

歪んだ内面自体は直せそうにないので、どうにか上手くやっていくか、あるいは部分的にでも改善出来ないかと思った。そのために一度、何年も頭の中でこねくり回していた考えについて、改めて整理した方がいいという考えに至った。

それ以外にも、本当に些細だが足を突っ込んでみようと思ったことがある。これが自分の考えを変える結果になるかどうかは分からないけれど、まぁそうはならずとも、今後別の何かに繋がるかもしれない。合わなければ諦めるしかないだけだ。なるべく落ち着いて臨むことにしよう。

 

恨みや痛みが抜けない苦しみと、それでも前に進もうとする気持ちが書かれたお気に入りの1曲を貼っておく。ハルカトミユキの『ナイフ』は、確実に僕を構成する曲のひとつだ。

 

 

せっかくの休日に暗いことばかり考えるのもよくないので、しばらく心の中にいる推しのことに浸っていようと思います。